私の履歴書
平成28年9月1日 本間 信一(工E昭20)
91歳の誕生日を迎えて
1 はじめに、
去る6月3日NTT吾妻会の席で 私から御配りしました略歴のミスプリ訂正と加筆したものを先ず御覧下さい。
年 | 歴 史 | 自己紹介 |
1925(大正14) | | 誕生 |
1932(昭和07) | | 東京市高田第五尋常小学校 入学 |
1936(昭和11) | 二・二六事件 | |
1938(昭和13) | | 同校(現・豊島区目白小学校)卒業 |
1938~1943 (昭和13~18) | | 早稲田中学 |
1941(昭和16) | 太平洋戦争勃発 | |
1943(昭和18) | | 米澤工業高等学校電気科 入学 |
1944(昭和19) | | 徴兵検査 |
1944(昭和19) | 鈴木貫太郎内閣誕生 | |
1945(昭和20) | | 米澤工業専門学校電気科 卒業 |
1945(昭和20) | 終戦 | |
1946~1949 (昭和21~24) | | 早稲田大学理工学部電気工学科 |
1949(昭和24) | 逓信省⇒電気通信省 | 逓信省採用 |
1952(昭和27) | 電気通信省⇒電電公社 | |
1957(昭和32) | | 結婚 |
1959~1961 (昭和34~36) | | 廣島在勤 |
1980(昭和55) | | 電電公社 退職 |
1980~1988 (昭和55~63) | | 樺キ谷川電機製作所 (現・富士通アイ・ネットワークシステムズ)
|
1989~1990 (平成01~02) | | (財)電気通信共済会 |
1985(昭和60) | 電電公社⇒NTT | |
2013(平成25) | | 米寿(満88歳) 高齢者叙勲(瑞寶双光章) |
2015(平成27) | | 卆寿(満90歳) |
平成26年首都圏オーム・ビット会で挨拶される本間様
2 上記自己紹介欄の補足説明
@二・二六事件
昭和11年2月26日東京が大雪に包まれた早暁 陸軍青年将校によるクーデターが勃発した所謂二・二六事件です。
当時小学生でしたが、その日、学校に行ったら「今日は休みだ」と聞かされ家に帰りました。
蹶起部隊は29日に鎮圧されましたが、これ以後、軍部の政治介入が表面化し、日本は日中戦争(昭和12年7月7日)
から太平洋戦争(昭和16年12月8日)へと泥沼の中に足を踏み入れました。
A徴兵検査
昭和19年に徴兵検査を受けるため高田第五尋常小学校(現・目白小学校)に行きました。技術系学生の徴兵延期の
制度が暫くあり その後 それが消滅したが 召集令状が来る前に戦争が終わりました。
B鈴木貫太郎内閣誕生(昭和19年)
私の小学校の同級生・武藤徹君は昭和19年に東京帝国大学理学部数学科に入学していたが「鈴木貫太郎が首相に
なった時、数学科の先輩から『鈴木内閣は敗戦処理内閣だ。世界に向って戦争終結意思ありと、アドバルーンを
上げたことになる』と教えられた」と、最近の同君の著書で発見しました。私が鈴木貫太郎首相の役割を知った
のは戦争が終わってかなりしてからです。同時代にこんな落差の有ったことに驚きました。
C8月15日(昭和20年)
御存知の通り敗戦の日ですが,その日で忘れられないのは「戦争に負けた事よりも前日までの灯火管制が解除
され煌々と電灯を点けて良い事になって嬉しかった事」で70年経っても忘れません。
2-2 それからの事
D 結婚の事
昭和32年に結婚しました。私はもともと身体が弱かったのに拘わらず、今 満91歳を迎える事が出来たのは、
亡き妻が私の健康管理に心を砕いてくれた御蔭なのです。その亡き妻は、今年秋に十三回忌を迎えます。
E 廣島在勤
@廣島転勤
NTTで昭和24年6月~昭和55年4月の間約30年中、引越しを伴った転勤は この昭和34年2月~昭和36年4月の約2年間
のみでした。当時は東京駅発夜行寝台車 翌朝廣島着と言う 今の感覚では まるで海外への転勤の様で、親戚が
東京駅まで 大勢見送りに来てくれたものでした。
その転勤先は中国電気通信局と云って廣島、岡山、島根、鳥取、山口の各県毎に電気通信部 その下に電報電話局が
有りました。そのポストは通信局施設部調査課市内機械係長(当初数ヶ月は係長心得)で その係長人事まで地元新聞
に載っているのに驚きました。
A 原爆資料館見学
当時は原爆投下後十数年経っていましたが 展示を見て、大きな衝撃を受けました。それからは、東京から出帳で
来た本社のお客を、出来るだけ資料館に案内するようにしました。
B それから半世紀後
アメリカ人の多くが「戦争を終わらせるため正しい判断だった」と今でも思っているのは残念ですが、オバマ大統領
はこれとは少し違った考えのようです。今年5月下旬安倍首相がオバマ大統領を原爆資料館に案内した事で
内閣支持率を回復しました
F 叙勲の事
@勲記の抜粋
『日本国天皇は本間信一に瑞寶双光章を授与する』
A内閣府賞勲局発行のしおり抜粋他
賞勲局発行のしおりには『「瑞寶章」は明治21年に制定された。公務等に長年にわたり従事し成績を挙げた者に
授与される』とあり
また 叙勲は「春と秋に皇居に呼ばれる叙勲」と「高齢者」に対する叙勲とがあり、私は後者の方です。
長年にわたり従事した事には違いありませんが、若し成績を挙げたとすれば それは良き上司良き部下に恵まれた
からで 一重に幸運の成せる業で有難い事です。
3 最近思う事
@久し振りに本を買う
朝ドラに便乗した多くの出版物の一つに NHK連続テレビ゙小説「とと姉ちゃん」放送中!ヒロインの人生最大の
パートナー・花山のモデルとされている花森安治の『灯をともす言葉』が出版されました。 (注1)
かねがね 私はジャーナリストと類する人種を それ程信用していませんでしたが今回 その例外の有る事
を知りました。
その内容については 書店で購入するなり 近隣の図書館でリクウェストするなりして御覧頂いてから御感想を
御聞かせ下されば良いのですが、一刻も早く御知らせしたい部分のみ御紹介しますと 今の日本国憲法に
ついてです。
「『--日本国民はーーー武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。』
なんという、すがすがしさだろう。ぼくは、じぶんの国が、こんなすばらしい憲法をもっていることを、誇りにして
いる。あんなものは、押しつけられたものだ、画にかいた餅だ、単なる理想だ、という人がいる。誰が草案を作ったって
、よければ、それでよいではないか。理想なら、全力をあげて、これを形にしようではないか。全世界に向って、
武器を捨てよう、ということが出来るのは、日本だけである。日本はいう権利がある。日本にはそれをいわなければ
ならない義務がある。」 (pp190~191)
この日本国憲法については これからの事です。やたらと 熱に浮かされた様にならずに 落着いて考えたいものです
。少なくとも『物言えば 唇さみし秋の風』なんていう時代にはしたくないものです。
A おわりに
以上で91歳の誕生日を迎えての 喜びと感謝の言葉と致します。
2016.08.15 終戦記念日
注1 『灯をともす言葉』 著者・花森安治
2016年4月30日2版発行、監修・土井濫生、 構成・鈴木正幸、 発行者・小野寺優、
発行所・渇ヘ出書房新社 定価本体1300円税別
著者は既に1978年(昭和53年)に 他界しているが 本書奥付にある通り「新聞、雑誌、書籍に掲載された
花森安治の執筆・対談記事より編集・抜粋したもので、著作権者の了解のもと 明らかな誤字・脱字について
訂正し、適宜改行を加え」ている。
以上